30歳貧乏サラリーマン、ドイツ移住を目指す

最初のブログ記事で書いた通り、僕の半生は割と悲惨なものでした。お受験ママだった母親の影響で小学校から塾に行かされるも、中学受験で失敗し、地元の微妙な進学校に入学。エスカレーター式だったので、なし崩し的に大学受験まで怠惰な学生生活を送り、1年目の受験で全滅し2年目にようやく専修大学に合格。

コミュ障だったのでクラスでもサークルでも馴染めず、何に力を入れるでもなくずるずると就活を迎え、50人規模の小規模な出版社に入社し、その後ストレスと疲労でずるずると転職を繰り返し、気づけば30歳にして独身、年収300万円で一間の個室に籠ってコンビニ弁当を食べる生活を送っていました。

このカテゴリでは、そんな僕がドイツ移住を目指し、ドイツで就職・結婚するまでの半生をつらつらと語っていきたいと思います。

人生のどん底、決意の30歳

人生、30代に差し掛かると時が経つのがあっという間に感じられるもので、20代まではあんなに「早く来年にならないか」「来年こそはいいことがあれば」とカレンダーを眺めながら思っていた僕ですが、年一年と体の衰えをひしひしと感じるようになると、将来のことよりも過去の思い出や後悔が先に来るようになりました。

築40年のぼろくて小さいアパートに一人暮らしをしながら、会社と家とを往復する生活を続け早8年、精神的にも肉体的にも限界を実感しやすく、特に冬の朝夕の冷たさに人恋しさを感じるようになります。

学生時代から友達が少なく女っ気の無かった僕は、クリスマスも大晦日も一人で過ごすことが多かったのですが、30歳という節目の誕生日もクリスマスも、仕事をしてスーパーの総菜を食べ、一人晩酌で祝うという普段と全く変わらない一日を過ごしたのを今でも覚えています。

そんな時間の有り余るような夜には、いろいろなことに思いを馳せてしまうもので、僕の場合、どんな風にこの掃きだめのような生活を脱却できるのだろうか、と芋焼酎を片手に考えていました。そんな中、ふと頭によぎったのが、「海外移住」という選択肢です。

30歳英語力ゼロの海外移住という狂気

人生を振り返れば僕の周りで、海外に移住した、という友人や親せきはいませんでした。せいぜい、大学の留学プログラムを利用して半年や一年、海外の大学に留学したり、一年休学して世界一周するといった学生を何人か見てきましたが、自分には関係のない、意識の高い学生のすることだ、いつも冷めた目で見ていました。

運動もダメ、勉強もダメ、仕事もできず女性にもモテない自分にとって、海外のことなどおとぎ話の世界のような話です。白人の美男美女がワイングラスを片手に空港のラウンジでウォール街の株価の話をする、といった古風なハリウッドに出てくるイメージが関の山で、30歳の誕生日を迎えるまで、ドイツの首都すらどこにあるのか知りませんでした。

そんな僕が、芋焼酎を片手に海外移住を思いついたのは、当然自己変革や将来のキャリア設計、日本を変えるといったSNSにありふれる煌びやかな動機ではなく、単純に、この社会の掃きだめのような生活をどうでもいいので脱却したい、という息苦しさによるものです。

「死ぬまで安月給でこき使われて、会社と家とを往復して不毛に人生をすりつぶすなら、外に広がるキレイな女性もおいしい海外の食べ物も知らずに死ぬなら、ダメ元で海外移住してみて、それでダメなら人生を諦めよう」

こんな諦念のようなやけくそのような所信表明が、芋焼酎とともに僕の心を熱くしました。

20代のとき、「Knockin’ on Heaven’s Door」というドイツ映画を見たことがあります。末期の病気を宣告された若者が、病院を脱走して今まで見たことのないという海を見に行くストーリーで、つくりや詳細は覚えていませんが、美しい映画だったことは覚えています。

Knockin’ on Heaven’s Door

数年前に見た英語のラストを思い浮かべ、僕は誰と約束するでもなく、30歳の大晦日の夜に一人でうすぼんやりと海外移住を決意したわけです。恋人のため、家族のため、大義名分のため、というたいそれた動機はなく、単純な現実逃避と異国への憧れ、一刻も早くこの掃きだめを脱出したいという思いが強く働いたのです。

貧乏サラリーマンの背水の陣、自分を追い込むある方法

とはいえ、根っからチキンの僕は、いわゆる玉砕覚悟のその後のすべての人生を賭ける冒険というものには不向きでした。何だかんだ逡巡し、いろいろな人のブログや体験談を読んでいきついた答えは「最低限、英語ができないと現地に行っても何もできずに終わって帰ってくる羽目になる。英語を勉強し、少し貯金してからいこう」という、死を覚悟で病院から脱走した映画の二人のようなたいそれたものではなく、日本人の典型的な、石橋をたたいて渡るようなプランでした。

共感する人も少なくないと思いますが、基本的に英語の勉強というものは長続きしないようにできています。最初の1~2ヶ月はやる気もあるのですが、次第にしりすぼみになり、なんだかんだで理由をつけて辞めてしまうのが社畜の自己研鑽です。今までも、プログラミングや言語学習など、いろいろ思い立っては三日坊主でやめていった僕の経験上、こうした決意は水物で、長くは続きません。

朝から晩まで仕事に追われ、場合によっては休日出勤もあるブラックの教科書に載るような典型的社畜人生。おまけに手取りも少なく、英語の勉強にかけられる資金も豊穣にはありません。

とりあえず一年英語をガチって、さっさと海外に行こう。

こんなぼんやりとした決意表明など人間の怠惰な性根の前には霧消してしまいそうなものです。というわけで根っからのダメ人間の僕は、自分を追い込むために二つの行動を決めました。

  • オンライン英会話のレッスンを100回分前払いする
  • 海外行きの飛行機を購入する

手取り18万円の貧乏サラリーマンにとって、上記二つの出費は生活費の2ヶ月分という絶望的な出費ですが、これによって自分なりの背水の陣を引きました。人間、追い込まれないと行動に出れないものです。

受験、発表会、仕事のプレゼンなど、ことある場面で僕のように自分で考えて行動できない人間にとって、その選択肢しかとらざるを得ない状況に自分を追い込む、というのは将来の自分に行動を約束させる一つの事前契約のようなものでしょう。

僕の場合、海外であればどこでも良かったのですが、給料と仕事環境が良い、ドイツにすることに1日かけて決めました。というわけで、あとは航空会社のサイトから1年先(11ヶ月先)のキャンセル不可の飛行機チケットを予約するだけです。たかが10万円の飛行機チケットを買うのにも、僕の手は震えていたのを覚えています。

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