【体験談】ドイツ企業に就職後上司にパワハラされて退職した人の話

ヨーロッパ移住を夢見て遠い日本からドイツに来る人たちがいます。かくいう僕もそのうちの一人ですが、ドイツに移住しようと必死に生きているといい人にも悪い人にも出会います。一緒に頑張ろうって日本人にも会えばマウント取ってくる日本人もいますし、ラッキーな人、不幸な目に合う人様々です。今回は僕がドイツで出会った日本人で、現地企業に就職したもののパワハラを受けて辛い目にあった林君(仮名)の顛末をお伝えします。

情熱に溢れて夢を追ってドイツに来た林君

林君は日本の大学を卒業して数年日本で働きその貯金でドイツの語学学校に来ていました。僕が知り合ったときはとてもエネルギッシュで、様々なイベントやアクティビティに顔を出したり色々な人と友達を作ろうとしていました。彼は若さもあってか僕には無い積極性を持っており、30過ぎの僕から見ると少し恥ずかしくなるような部分も感じましたが、海外に来るにはこういった人が向いているのかなと考えさせられもしました。僕が年上ということもあってか、彼はいつも僕に敬語で話しかけて来て、ちょっとした体育会系の先輩後輩の様な関係でそこそこ仲良くなれたのです。

彼の父親は朝の7時半に家を出て、夜10時に帰ってくるような生活を何十年と続けており、父親が一度も友達や知り合いと遊びに行く様な話は聞いたことがないと言っていました。自分を育ててくれた父親には感謝しているものの、自分は父親みたいな家族以外何もない、平日は自分の時間が一切ない生活は絶対にしたくないと言っていたのをよく覚えてます。

ドイツ企業で就職が決まる

林君がドイツに来てから半年頃、彼に転機が訪れました。ドイツ語の語学学校に行く傍ら就職活動をしていた彼は、ドイツ企業から日本マーケットでの市場開拓を担うポジションの面接に呼ばれました。林君曰く彼のドイツ語のレベルはA2~B1と言っており、ドイツ語だけでのコミュニケーションは難がある印象がありましたが、持ち前の積極性で語学のハンデをカバーしていました。面接はドイツ人と上司にあたる日本人が行うので、ドイツ語か英語と日本語で行うことになりました。今まで面接には何度か呼ばれたことがあったそうですが、ドイツ企業で従業員がほぼドイツ人かヨーロッパ人しかいない会社での面接は初めてだったらしく非常に喜んでいました。

面接後に林君に会って話を聞くと、どうやらその会社はそこまで大きい規模ではないらしく、担当部署には日本人上司一人のみで、上司とは日本語で話すがそれ以外の同僚とは英語かドイツ語で話すという多言語で面白そうなポジションだと話していました。また日本マーケットを開拓していけば、いずれ日本にも出張で行けるととてもテンション高く話していました。話はとんとん拍子に行ったようで、半月後位にはここで内定を貰ったとドヤ顔で僕に電話してきました。ちなみにこの時僕はまだ就職する前だったので、内心は正直めちゃくちゃうらやましいと彼を呪っていました。

就職後空気が変わり始める

彼が語学学校に通っていた時は暇を持て余してたようでちょこちょこ会っては世間話をしてましたが、彼が実際に就職し始めてからは会う機会もめっきり減ってしまいました。確か林君が働き始めて2ヶ月くらいの頃にまた会ったのですが、その時は少し鬱っぽくなって生気を失いかけていました。仕事の話を聞くと、最初こそそこそこ丁寧に仕事を教えてくれていたそうですが、市場開拓がメインのタスクらしく、新しい取引先を見つけるプレッシャーを段々とかけられていると言ってました。

初めのうちは取引先になってくれそうな会社をリサーチして、ポテンシャルのある企業にコールドメールを必死に送るタスクをしていました。しかしやっても全然成果が出なかったそうで、日本人上司から新しい取引先のコンタクトを見つけろと日本語で毎日詰められていきました。

成果が出ずに精神的に追い詰められる林君

会社にひたすらメールを送ってもほとんど成果が出なかったらしく、日本人上司からはメールに加えて、これからは朝早くに出社して日本の会社にコールドコール、要は飛び込みの営業電話を指示されました。しかし日本とドイツの時差は7~8時間あるので、朝8時に出社したところで日本は既に午後3時~4時なので電話する時間もほぼありません。結果が全然でなかった林君は非常に焦っていたらしく、自主的に更に早い時間に出社して日本の会社に飛び込みの営業電話を何社にも掛けていたそうです。この辺の話はあまり詳しく聞けていませんが、話を聞いている限り朝早くに出社している分早く勤務時間を終えているような印象は全くなかったです。

Image by Grae Dickason from Pixabay

営業電話をしたことがある人は分かると思いますが、全く繋がりの無い会社にいきなり電話を掛けたところでほとんど相手にされません。そもそも電話を取ってくれる受付や事務の人から担当者に取り次いでもらうのが難しく、声のトーンだけでも非常に嫌がられるのを感じ取れます。営業電話を断られまくった林君の心はぼこぼこにされ、仕事の自信をすっかり失っていました。

さらに上司からはコンタクトを獲得するノルマを課せられ、ポテンシャル企業の連絡先を手に入れられなかった日は日本人上司から「お金をもらってるくせに会社に何も貢献しない役立たず、お前この調子で働き続ける気なの?」とグサグサと心にくる言葉を投げられて毎日何時間もサンドバック状態でした。明るく上司と話したくても日本人上司と話せる話題も無く、成果が何も無い状態ではパワハラされても言い返せることもできずただただ言われっぱなしでした。

また、ドイツ企業勤務で他の従業員はドイツ人、ヨーロッパ人と言うと聞こえは良いですが、実際には他の部署の人たちと話す機会が全然無く、林君が仕事で相談できる相手はこの日本人上司だけだったのです。ドイツ人からすれば「日本のマーケットはヨーロッパと違うから、僕たちはアドバイスできないよ。君の日本人上司と相談しながら仕事してね」と丸投げ状態でした。このポジション、というか会社の大きな問題点は日本語を話す人が非常に限られている関係で日本人チームが孤立していたことです。上司が良い人であれば楽しいかもしれませんが、一たび詰められ始めると誰からも相談もサポートも受けられなかったのです。

試用期間でクビに

ある日林君は日本人上司から呼び出されて、マネージャー陣から試用期間内での契約終了を言い渡されました。後々気づいたことですが、このポジションがやっていることは単純な飛び込みの営業電話とメールを送るだけで従業員の事は全然気にかけていなかったようです。試用期間で適当に日本人を雇い、成果が出なかったら直ぐに契約を終わらせて他の日本人を探しているだけだったのです。結局林君はヨーロッパ人の同僚とも数回お昼を一緒に食べただけで、全然仲良くなれなかったそうです。ただヨーロッパ人の同僚を見ていると、みんなあまり追い詰められている雰囲気が全然無く、部署の上司によって雰囲気が全然違ったのでした。

林君がこの仕事で得たことと言えば、営業メールと営業電話のテンプレの作成にわずか数か月のビジネスデベロッパーという肩書だけです。林君の自信は打ち砕かれ、元々の明るかった性格は完全に消えていました。ドイツの法律の知識を全然持っていなかった彼はパワハラがドイツで違法なのか、何が問題にできて何が問題にできないのかも分からず、日本人上司に立ち向かう勇気も湧かずただ一人会社を去っていったのです。

就職するにあたり通っていた語学学校も辞めており、パワハラに試用期間のクビという恥ずかしさにも耐えられず、前に顔を出していたグループには行くのを止めてしまいました。林君は僕に「飛び込み営業の仕事は2度とやらない。飯田さんも絶対やらないほうがいいです。」というアドバイスを残して疎遠なってしまい、その後のことはあまりよくわかりません。しかしキャリアとメンタルヘルスを犠牲にした林君のこの言葉は、陰キャな僕には元々選択肢になかったとは言え、今でも心に残っています。

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