ナチスドイツの誇る第二次世界大戦の名将5選

結局負けてしまいはしたものの、滅びゆくドイツ軍の中には圧倒的物量を誇る連合軍相手に善戦した将軍も少なくありません。そんなドイツの誇る「名将」たちを紹介していきます。

何をもって名将かどうかは評価によって異なりますが、以下のサイトを参考にしました。
Rating the generals of WW2
Greatest generals world war 2

マンシュタイン(Fritz Erich von Lewinski genannt von Manstein)

生年没年:1887~1973
最終階級:陸軍元帥

ナチスドイツ最強の将軍はだれか議論で必ず筆頭候補に挙げられる将軍の一人で、崩壊する東部戦線を立て直し、物量で圧倒するソ連軍を相手に善戦したという凄腕の指揮官です。

日本軍もドイツ軍も、イケイケのころは勢いに乗って戦線拡大するのですが、いざ守勢に回ると態勢を立て直せる人間って本当に少ない。マンシュタインは、ポーランド侵攻以降主に東部戦線の主力とし活躍、特にスターリングラード敗北後の劣勢のドイツ軍を率いてソ連軍を各地で迎撃・反撃を加え戦線を持ちこたえさせました。

この人の凄いところは、戦歴もさるものながら、精錬潔癖なプロイセン貴族の家系で、もともとヒトラーとはそりが合わないとされていたにも関わらず、実力一つでのし上がったところです。そのため、連合軍側にもファンが多く、戦後は他の指揮官よりも早く戦犯刑務所から釈放となり、戦後ドイツ軍の再建に貢献しています。

ロンメル(Erwin Johannes Eugen Rommel)

生年没年:1891~1944
最終階級:陸軍元帥

出典によって「有能だった派」「有能ではなかった派」「有能ではなかったが性格が良かった派」などに評価が分かれやすい人物で、「砂漠のキツネ」のかっこいい異名を持ちます。

マンシュタイン同様、ポーランド侵攻に参与し、その後装甲部隊を任されました。その機動力を生かして、地理的不利にも関わらずフランス軍を圧倒し、フランスの降伏に大きく貢献し、その名前を轟かせます。ただし、割と独断専行が目立つ将軍だったようで、しばしば命令無視で突出し、軍部の反感を食らっています。

そんなロンメルが国を越えて日本でも有名になるのはアフリカの戦い以降で、物量的に圧倒的に不利な中、様々な策略を駆使してイギリス軍を翻弄します。日本人て、寡兵で大軍を撃破、みたいな英雄伝が好きなので、日本人の好みにもあったのでしょう。

しばらくは、勝ったり負けたりして北アフリカ戦線で粘っていましたが、プロ野球で例えると、全盛期の巨人VS暗黒期の横浜みたいな戦いで、短期的には誤魔化せるものの、戦争が長期化するにつれて段々と自力の差がでてきました。同盟国のイタリアも頼りにならず、結局ロンメル率いる北アフリカ軍団は敗北し、連合軍によるイタリア上陸を招きます。

さて、ドイツ帰国後のロンメルにはもう一つハイライトが訪れます。北アフリカでドイツ軍のシンボル的英雄となったロンメルは、フランスから上陸してくるであろう連合軍への抑えに任命されます。この辺からすでに名将ロンメルの運はつきかけていたようで、妻の誕生日を祝っている間に連合軍がノルマンディーに上陸し、指揮系統がめちゃくちゃになったり、機銃掃射によって重傷を負い、最後はヒトラー暗殺未遂事件の嫌疑をかけられ自死を賜ります。

グデーリアン(Heinz Wilhelm Guderian)

生年没年:1888~1954
最終階級:陸軍大将

戦車中毒のグデーリアン将軍で、ドイツ軍の電撃戦のモデルを現実化させた将軍と評価が名高く、ロンメルやマンシュタインと並んでドイツ軍最強指揮官議論に名前を連ねます。

他の将軍たち同様、ポーランド侵攻、フランス電撃戦、独ソ戦というキャリアを経ていき、装甲師団指揮官として戦場を縦横無尽に駆け巡り、敵の防衛線に風穴をあける働きをしました。

非常に優秀な戦術指揮官だったようで、目先の戦いには勝つのですが、それ以上の戦略が眼をもっていたわけではなかったようで、ソ連相手に勝ったり負けたりしている間に段々ドイツの戦車部隊が消耗していく羽目になります。そうこうしている間にヒトラーとそりが合わなくなり、前線指揮官を解任されることとなりました。

戦後は、他の同僚ともども戦争犯罪人として刑務所に送られますが、根っからの戦車オタクという以外特に思想的にやばいところはなく、他の同僚に先駆けて1948年には釈放されています。

ケッセルリンク(Albert Kesselring)

生年没年:1881~1960
最終階級:空軍元帥

スマホのゲーム「将軍の栄光3」では、ドイツの将軍として唯一空軍ランク4が与えられている将軍です。上記の3将軍と比較すると評価が一定しないものの、どちらかというと有能な側の将軍ではないでしょうか。

キャリアのほとんどを空軍指揮官として過ごし、ロンメルなどの地上部隊と連携して後方支援に徹しました。ゲーリングのように航空戦力を過度に評価するのではなく、地上戦力との連携でこそはじめて力を発揮すると冷静に見抜いていた人物の一人です。

アフリカ戦線からイタリア戦線へと転戦し、アンツィオの戦いなどで圧倒的な物量を誇る連合軍相手に善戦を続け、イタリア戦線を持ちこたえさせます。最終的に米英ソの圧倒的な物量の前にドイツは降伏、ケッセルリンクは死刑宣告をうけることとなりますが、なんだかんだで1952年には釈放され、1960年まで生きました。

ルントシュテット(Karl Rudolf Gerd von Rundstedt)

生年没年:1875~1953
最終階級:陸軍元帥

今回紹介する将軍の中で最高齢にあたる1875年生まれの老将で、義和団事件から第二次世界大戦まで、軍人として約半世紀近いキャリアを持つ筋金入りの軍人です。

そんな彼はドイツ軍のご意見番として強い権限を持つようになりました。ヒトラーですら、彼のいうことには一目置かなくてはいけません。ポーランド侵攻、フランス電撃戦、独ソ戦から西部戦線へと、ナチスドイツの興亡をすべて見てきた人物です。

グデーリアンやロンメルのように、何か突出した経歴やスキルがあったというよりも、バランスの取れた良将軍といった形で、特別称賛するような出典もなければ、非難されているような出典もありません。

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