ベルリンに移住して失敗、後悔したドイツ体験談

ヨーロッパの中でもイギリスやフランスと競って日本人長期滞在者が多いドイツには、日本から駐在で来てる人や、ヨーロッパ人と結婚して移住した人、留学やワーホリで来てる人など様々です。留学やワーホリでドイツに来てる人は1学期や1年など限定的な期間で来ている若い人が多く、たくさんのアクティビティや友達を作って楽しく過ごしている人がたくさんいます。

一方でドイツ人やヨーロッパ人と結婚してドイツに移住した人にとっては、何年、何十年、その中にはドイツで骨を埋める人も出てきます。ドイツ生活が肌に合う人もいれば、残念ながらそうでない日本人もいます。ドイツ人男性と結婚してドイツに移住したものの、ベルリン移住を後悔した小坂さん(仮名)の体験談を紹介します。

憧れたヨーロッパ生活は夢とは違ったドイツ

東京出身の小坂さんは短大を卒業後、東京の中小企業で働いていました。小坂さんは学生のころから海外に興味があり、就職後も仕事をしている傍らボランティアグループに参加して外国人に日本語を教えているお手伝いをしていました。ボランティアをしていたある日、日本語を教えるグループに後に彼女の旦那さんになるドイツ人の男性が訪れたのでした。

彼はドイツの大学を卒業後に日本に1年、休暇を兼ねて英語を教える仕事をしながら旅行をしていました。短大時代にフランスとイタリアに旅行したことがあった小坂さんはドイツ人とすぐに仲良くなり、彼が日本にいる間に付き合って一気に婚約まで話がトントン拍子で進んでいったそうです。

ちなみに小坂さんの語学力ですが、英語が少し話せる程度でドイツ語はもちろんゼロでした。一方の彼は英語は上手に話しましたが、日本語は日本語能力試験のN3程度で、日本語だけでなんとかコミュニケーションは取れるが日本人同士の会話はあまりついていけず、簡単な漢字を少し読める程度でした。なので小坂さん夫妻のコミュニケーションは基本日本語で、ドイツに行くまでは最低限必要な配偶者ビザ申請に必要なドイツ語試験A1を合格することにし、ドイツ移住後は本格的にドイツ語を勉強して、余裕があれば英語も少し勉強していく予定でした。

そして彼がドイツに帰るタイミングで小坂さんも有休を使ってドイツに遊びに行き、彼の家族や友達と顔を合わせました。彼の親は小坂さんを歓迎してくれて悪くなかったそうですが、彼の友達達は意地悪ではないものの、ドイツ人同士もちろんドイツ語だけで会話していきます。彼が通訳しないとコミュニケーションが取れないので彼の友達からはあまり気を使われず、会話の輪には全然入れなかったそうです。

必死になってドイツ移住

旦那さんは先にドイツに戻ってベルリン近郊で二人が住める住居の確保や就職している間に、小坂さんも結婚やドイツ語A1試験の合格に書類の手続き、退職に引っ越し等実際にドイツに行くまで非常にバタバタしていました。初めて学ぶドイツ語に悪戦苦闘しつつも愛する彼との将来のためと自分に言い聞かせ、なんとかかんとかA1を取得した後も今度は終わらない手続きを延々とやり続けて非常に忙しくしていたのです。「ドイツに着いたら一息できる」そう自分に言い聞かせて小坂さん夫妻はお互い苦労しながらも何とか小坂さんのドイツ移住までたどり着いたのでした。

ドイツ移住が近づくと家族や友人、職場から労いとお祝いを兼ねてたくさんお別れ会を開いてくれたのです。小坂さんの両親は娘が独り遠い異国の地に行ってしまうのを寂しさ半分心配半分な様子で、友人や職場からは「ドイツ移住なんて羨ましい!」とひとしきり言われていました。小坂さんは特段大きな野心や強い上昇志向を持つような性格では無かったですが、職場内や婚活で出会う日本人同士での醜いマウンティング合戦には嫌気が指していたので、これからは醜い世界から抜け出せると内心喜んでいる部分はあったと言っていました。

ベルリンに来て日本語コミュニティに引きこもる

そしてようやくすべてを終えて、小坂さんはドイツに引っ越すと今度は旦那さんと一緒に新しいドイツ生活が待っていました。日本で忙しくしてたのもありベルリンに移住後は少し落ち着いて生活に慣れる必要がありました。

ドイツ語A1に合格したといっても簡単な表現ができるのみで、ドイツ語の文法にはまだまだ慣れておらず、ドイツ人と会話するにはスピーキングもリスニング能力も全然足りていなかったのです。おかげでスーパーでの買い物にも一苦労でした。

しかし小坂さんにとって最初の大きな苦労は友達作りだったのです。小坂さんは初めてのドイツ生活、当たり前ですが知り合いは旦那さん以外いません。一方で旦那さんは元々ベルリン育ちだったこともあり友達はたくさんいました。彼の友達は悪い人たちではありませんでしたが、ビールを飲みながらのドイツ人同士の会話を聞いたところで全く理解ができず、また何年も付き合いのある友人達との身内話になると、旦那さんが内容を通訳してくれたところで話に全く入れないのでとにかく退屈だったのです。

そこで小坂さんはインターネットでグループやアクティビティを探して、日本人のコミュニティにも顔を出して友達作りを始めました。似たような境遇の人が入れば友達になりやすいんじゃないかと期待していたのでした。しかしベルリン、というかドイツに住んでいる日本人はある程度分かれているようで、大まかに見るとドイツに駐在で来ている日本人家族、留学できている学生、ワーホリで来ている20代、そしてドイツ人と結婚して住んでいる日本人グループの様でした。駐在関連の人たちは目的も違うし知り合う機会も無く、留学生グループは小坂さんには若すぎるし短期滞在で生活や手続き関係も違い、ワーホリグループは仲良くなれそうな人も一部いたもののやはり一時的な滞在なのであまり仲良くなることがありませんでした。そしてドイツ人と結婚した日本人グループですが、家族に子供がいる場合知り合う機会はほとんどなく、それほど知り合う機会もあまり多くなかったのです。

結果、多少仲良くなっていった一部の日本人たちとよく遊ぶようになってしまい、旦那さんから見るとドイツに来ても日本語のコミュニティに引きこもっているような形になっていったのでした。旦那さんが「ドイツに引っ越したんだから、日本人だけじゃなくてドイツ人やヨーロッパ人とも友達になったら?」と言うと「もちろんドイツ人と知り合いたいけど、ドイツ語ができないのにどうやってドイツ人と仲良くなれるんだ」と、意見が平行線のまま終わるのでした。

ベルリンで就活をしようにも仕事が見つからず焦る

しかし小坂さんにとって何より難しかったのがドイツでの就活でした。小坂さんは元々東京では中小のメーカーで営業事務をしていたので、似たような事務系の仕事をベルリンで探していました。小坂さんの語学力は英語もドイツ語も仕事で使えるほどではなかったため、日系企業に絞って探すことにしたのです。ドイツには日系企業がたくさん進出していて、日本語だけで就職もできると聞いていたので何かしらは見つかるだろうと最初は楽観視していたのです。

ドイツの詳しいことを何も知らなかった小坂さんは、これが間違いだということにはベルリンに来るまでわからなかったのです。確かにデュッセルドルフの様な日系企業が集中しているエリアでは日本語だけの仕事も多少はあったのですが、ベルリンはこれといった強い産業が無く、インターネットの募集を見ると大体IT系や何かしらのサービス系になってしまい、そもそも日系企業はあまり多くなかったのです。たまにある募集要項を見てもドイツ語や英語が応募要件に出ており、小坂さんが応募できるような事務の仕事はほとんどなかったのです。

実情を感じて焦り始めた小坂さんはとにかく日本語を使うポジションに全部応募し始めたのでした。そうしたところで募集要項と小坂さんの職歴は全くマッチしないので、どんなに応募しても面接にすら呼ばれなかったのです。後に人に指摘された小坂さんにとってもう一つのマイナス点が、小坂さんが短大卒という経歴でした。当たり前ですがドイツでも短大卒は大卒の評価が貰えず、仮に面接に呼ばれたところで、ドイツ語で日本の短大卒を上手く説明する力もなかったのです。

最初は応援してくれていた旦那さんも、面接にも呼ばれないで日本人とばっかり仲良くしてドイツ生活に馴染もうとしない様に見える小坂さんにイライラが募り始めます。元々そんなにバリバリ働きたかったわけでもない小坂さんでしたが、家での旦那さんとの関係にも悪影響が出始めたので嫌々ながらも日本食屋など飲食系にも応募することにしたのです。

モチベーションも下がり続けたものの就活を続けていたら、数か月後に運よく日本食系のレストランのホールでとりあえず仕事を手に入れることができました。レストランの同僚はほぼ日本人で、オーダーを取るためにお客さんとドイツ語で話はするものの、ほとんど決まったやり取りしかしないので結局ドイツ語も全然上達することもなく、日本語ばかりの生活になっていたのです。さらに毎日レストランでフルに働くと忙しさから体力的に非常に疲れてしまい、それ以上就活もドイツ語を学ぶ気力も無くなってしまったのでした。

旦那と喧嘩してベルリンに居場所が無いと悟る

レストランで働き始めるとエネルギーのほとんどを仕事に使うことになり、他のことまで手が回らなくなってきます。最初は夫婦で協力して頻繁に掃除していた自宅も、お互い仕事が忙しくなり頻度を減らすことにしました。シフト制のレストランで働くと語学学校に行くのも難しく、ドイツ語の勉強も身が入ら無くなっていき、家にいる時間も座って休んでばかりになります。

夫婦で一緒に住んでいると楽しい時間もあれば難しい時間もあり、ドイツ人の旦那さんと喧嘩すると小坂さんに居場所が無いのでうまく気持ちを落ち着かせる場所もありませんでした。勝手を知っている東京であれば少し外に出て頭を冷やしたり、仲の良い友達に会って他愛ない愚痴を言ってリラックスもできましたが、ベルリンにはまだそこまで仲の良い友達もいなかったのです。そうやって住んでいるとお互い上手く解消できないストレスが溜まりやすくなり、前よりも喧嘩が増えてきてしまい、小坂さんにはベルリンの居心地が段々と悪くなってベルリンに来たのを後悔したのでした。

状況を解決するために引っ越し

ベルリン移住に後悔し、この状況のままでは良くないと小坂さんは状況打開のため、ベルリン以外も含めて就活のし直しを提案します。幸い旦那さんの仕事は転職しやすく、二人の関係が良くなるならと賛成してくれてドイツ内で幅広く転職活動をすることに。たくさんの話し合いと仕事のオファーの結果二人はハンブルクに引っ越すことになりました。

小坂さんは日本でのキャリアを生かして日系企業で営業アシスタントの職を得ることができ、旦那さんもすんなりとハンブルクで転職に成功したのでした。小坂さんはハンブルクでも忙しくしているものの、過去の経験もあるので直ぐに仕事をフォローすることができ、ハンブルクでドイツ語の勉強の再開と友達も作ることができたのでした。

小坂さんはドイツのことを詳しくは知らずにベルリンに行ったのは失敗だったと言っていました。ベルリンに友達がいたり仕事があれば良いかもしれないが、何も繋がりが無いところで仕事を見つけづらい所に引っ越すと、上手くいかず失敗することがあると反省を込めて話していました。「ドイツ語や就職に役立つ知識があればどこでも就職できるかもしれないが、もし日系企業に就職を目指すなら、デュッセルドルフやミュンヘン、とにかく日系企業がたくさん進出している地域に行くべき。」とドイツ移住を目指している日本人にアドバイスをしています。

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